ルター本来の意図は実現したのか

宗教改革500年を迎えて

今年10月31日をもってルターの宗教改革から500周年を迎えました。米国の神学者ピーター・ライトハートは、宗教改革が果たした様々な功績を認めつつも、「宗教改革は失敗した」と題するコラムを書いています。その真意は何でしょうか?

そもそもルターをはじめとするプロテスタントは新しい教派を創ろうとしたのではなく、当時のカトリック教会全体、ひいてはヨーロッパ全体の「再福音化」を願っていました。しかし、結果として教会は分断され、カトリック教会から分かれたプロテスタント自体も、いくつもの教派に分裂したままです。さらにライトハートは、現在のキリスト教徒たちが、この分断された状態をノーマルだと感じるようにすらなっていると指摘しました。

彼は、この状態を「最悪」と表現します。なぜなら、本来、ルターが回復しようとした「福音」の核心は、イエス・キリストが神と人、さらには人と人をも相互に和解させ、新しい普遍的な共同体をつくるところにあったからです。「あらゆる人種、言語、国籍から引き出された人々が集う教会こそが、福音の生きたしるし」だとライトハートは主張します。彼は「プロテスタントが互いに分断され、カトリックや正教その他と分離している限り、福音の完全性が現れることはない」と述べ「統一こそが福音の命令であり要求だ」と結論付けました。

ルターは福音を回復しようとしましたが、それによって築いた「分断」が、逆に福音を損なってしまう結果をもたらしてしまいました。これを指してライトハートは「宗教改革は失敗した」と表現するのです。

もちろん、マックス・ウェーバーやリンゼイ卿などが指摘したように、宗教改革は、経済面では資本主義、政治面では民主主義の発展に大きく貢献しました。宗教改革の延長線上に生まれた米国が、ファシズムや共産主義の脅威から世界を救ったことも特筆されるべきです。しかし、現代においては、ライトハートが警告するように、キリスト教が分断していることの弊害のほうが、より大きくなっていると言えるでしょう。

宗教改革の故郷であるヨーロッパをはじめとして、世界はまさに分断の危機に瀕しています。民族や国家のエゴがぶつかりあい混迷を深める世界を平和に導くためには、「人類の良心」ともいうべき宗教者がモデルを示す必要があります。あらゆる宗教は、エゴを克服し、互いに愛し合うことを教えています。宗教が本来の目的、使命に立ち返るとき、超宗教的な対話と協力による平和の実現こそが、それぞれの宗教、教派の行くべき道であることがわかるでしょう。

現代の社会を見れば、宗教者たちが手を結び合い、一つになって声を挙げるべき時代であることは明白です。世俗化したヨーロッパを先頭に、物質的な享楽主義や行き過ぎた個人主義の蔓延によって、性道徳が破壊され、結婚、家庭の価値が危機に瀕しています。全米で同性婚が合法化される際、カトリック、プロテスタントの聖職者が結束して反対したように、あらゆる宗教が道徳性の回復と家庭の再建に向かって共通の努力を始めるべき時でしょう。

宗教改革500年。キリスト教は、ルターが意図した「真の救い」の実現に向けてさらなる一歩を進めることができるでしょうか。世界人口の1/3を占めるキリスト教は、家庭問題、環境問題、難民問題など、人類が直面する様々な課題の解決に向けて主導的な役割を果たす潜在的可能性を持っています。その動向は、日本を含む人類全体の未来とも決して無縁ではありません。(O)

Weekly Voice by UPF

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